藤波孝生氏を忘れてはいけない

2007年11月24日

 奇しくも伊勢名物「赤福」騒動さなかの10月28日、もうひとつの伊勢銘菓「紅白利休饅頭」で知られる老舗「藤屋窓月堂」で生まれ育った藤波孝生元代議士(元内閣官房長官)が亡くなりました。74歳でした。
 中選挙区時代の三重二区では、選挙のたびに藤波氏と田村元氏(元衆議院議長・故人)が熾烈なトップ争いを演じ、「利休饅頭を食べる家は藤波支持、赤福を食べる家は田村支持」と色分けされたそうです。しかし地元以外で利休饅頭に出会うことはなく、私などは赤福を食べるたびに藤波氏のことを思い、その健闘を祈るというネジレ現象を体験していたものです。
 藤波氏は、森喜朗氏(元首相)、西岡武夫氏(元文相)ら当時の錚々たる文教族のリーダー(文教部会長)であり、私学助成とりわけ私立幼稚園振興の屋台骨をつくった人として忘れてはならない恩人です。
 その代表事例が議員立法の私立学校振興助成法です。
 1975年7月4日、未明の参議院本会議で可決成立したとき、私学界は歓喜の涙を流しました。しかし藤波氏は「寒さに震える私学にコートを1枚差し上げたいと思ったが、セーターやマフラーの役にも立たない結果になってしまった。申し訳ない」と頭を下げました。国庫補助の比率が明示できなかったからです。しかしわずかな国庫補助が地方交付税を誘導し、大きな額に育ってきたのです。政治家によくある「これは私がやりました」などとは決して言わない誠実で奥ゆかしい人でした。
 法制定が難航し、途中、私学界の中で「幼稚園を外した方がいいんじゃないか」との議論が出ましたが、「幼稚園があればこそ、私学が公教育の多くを担っていると実証できる」と突っぱねたのも藤波氏でした。
 その藤波氏が、あろうことか1988年に発覚したリクルート事件の罠に落ちました。官房長官の職務権限をめぐって争われた裁判は、一審は無罪だったものの最高裁で有罪が確定しました。「裁判ではこうなりましたが、私は無実です」と言った悔しさは察して余りありますが、2007年6月に発刊された田原総一郎著『正義の罠~リクルート事件、20年目の真実』という本で、その無念が晴らされました。田原氏の20年に及ぶ取材と検証の結果、やはり藤波氏には問われる罪がなかったのです。当初から言われていたとおり、リクルート株を譲渡された他の大物政治家を救うためのスケープゴートに仕立てられた検察の“国策捜査”だったのです。
 改めてやりきれない思いにもなりましたが、この本が世に出てから旅立たれたことが、私にとってせめてもの慰めです。

幼稚園情報センター 片岡 進