遊軍記者レポート From 長崎

長崎県の二つの悲劇から学んだ「地域の力」

教育研究大会での古賀良一氏の講演を聴いて

2014年3月17日
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古賀良一(こが・りょういち)

古賀良一(こが・りょういち)
長崎県佐世保市・合資会社古賀商店代表社員。佐世保市教育会会長、佐世保市子ども安心ネットワーク委員長、佐世保市徳育推進会議事務局長。1944(昭19)年生まれ、佐世保市出身。西南学院大学商学部卒。小学校PTA会長、長崎県教育委員会委員長などを歴任。

朝野卓也(あさの・たくや)

朝野卓也(あさの・たくや)
長崎県佐世保市・日野幼稚園理事長。長崎県私立幼稚園連合会経営研究委員長。経済誌編集者などを経て私立幼稚園の世界に入る。長崎県駐在幼稚園情報センター遊軍レポーター。

【日野幼稚園・朝野卓也理事長からのレポート】

★タテ割り社会の打破をめざし
 長崎と東京の距離は約1500キロ。長崎から中国上海までとほぼ同じである。狭いようで日本は広い。時差を感じる。2015年のスタートを期して大詰めの検討にある「子ども・子育て支援新制度」は、待機児対策が必要な大都市部も、園児減で幼稚園の存続が危ぶまれる地方都市も、「幼児期に質の高い学校教育と保育を総合的に提供する」という二律背反の命題を提起している。それを特別措置を設けない法律で処理しようというのだから、各地の子育て環境の“時差”はいかばかりだろうか。
 その長崎から、2013年7月に行われた「第26回長崎県私立幼稚園連合会教育研究大会」を報告したいと思う。場所は日本初の国立公園である雲仙の老舗「宮崎旅館」。高原の涼しさの中で三日間、前半が園長・設置者・主任研修、後半が教師研修という形で続けてきている。ここでは初日に行われた古賀良一氏の基調講演を聞いて思ったことを記したい。というのも古賀さんの話を是非聞きたいと、講師に頼んだのが私だからである。
 1944年生まれの古賀さんは、佐世保で文具・事務機器などの卸小売業を営みながら、長年にわたり社会教育活動に携わっている。思えば私がこの方と知遇を得たのは1998年。佐世保市が設置した「公立保育所問題検討会」という審議会だった。メンバーは約20人。公立保育所の民営化の是非を議論する場だったが、意外にも公立保育所関係者からは臆したように何の発言もなかった。公費の費用対効果を考えるなら公立の存続余地はない。だからこそ公立保育所でなければできないことを主張してほしかったが、当事者からは梨のつぶてだった。
 そこで「地域の拠点保育所として、私立ではむずかしい市全体を考慮した保育を実践すべき」との意見を述べたのが古賀さん、私立幼稚園代表として参加した私、それに労働組合関係の三人だった。「立場の違いはあっても、子どもの視点で真剣に話し合えば納得できる結論を得る」とは限らないが、少なくとも共感し合える関係は作れることを学んだ会議だった。社会教育、地域活動のリーダーとして古賀さんが主張する「タテ割り社会の打破」の可能性を感じたところでもあった。
 以来親しくお付き合いさせてもらっているが、何より教育を大切に考える人だけに、「子どもは生まれてから三年間は母親の手元で育つのが一番良い。0歳〜2歳に保育所が手を広げるのは間違いだ」と保育所団体の会長にも噛みつく硬骨漢でもある。そんな経緯もあって、古賀さんの人となりを多くの幼稚園関係者に知ってもらいたいと講師をお願いした次第である。

★先生の一言で学校が大好きに
 「日経新聞『私の履歴書』に倣って……」と始まった講演は、彼の小学校1年生のときのエピソードから語られた。秋のある日、学校好きの古賀少年は、地元の祭りで休校だったことを知らず、いつものようにランドセルを背負って学校に駆けつけた。誰もいない。でもたまたま担任の中村シマ先生がいた。中村先生は前日の注意を聞いていなかったことを叱らず、「あら良ちゃん、よう来たね」と迎え入れ、新品の学習雑誌をプレゼントしてくれた。古賀少年は「どうして日曜日があるのか」と嘆くほどにますます学校が好きになり、出会う先生はみんないい人ばかりと思うようになった。幼稚園の先生が子ども達の心にどれほど強い印象を残すか、改めて思うものである。
 学校好きのおかげで成績はいつも優等生。やがて東大か早稲田を出て政治家になる夢を育んだ。ところが高校2年のときに母親が病に倒れた。弟妹の世話、家事全般、父親の仕事の手伝いなどが一手に彼の肩にかかり、東京に出ることを断念して地元の大学に進んだ。政治家の道もあきらめ家業を継いだ。この話は酒席でも何度か聞いた。少年の心に刻まれた辛さだったのだろう。しかし古賀さんは「母の病があったから社会教育活動に取り組むことができた」と言う。「人間万事塞翁が馬」である。
 酒席では彼の歌もよく聞いた。橋幸夫の「潮来笠」などは玄人裸足だったが、中でも彼が好きなのは鶴田浩二の「傷だらけの人生」だという。♪何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬことばかり♪の一節に、現代の憂いと未来への警鐘が込められていると語る。しかし歌は流行ったが世の中はさらに暗くなった。「自分がもっと動くしかない。釣られて動く人が増えれば世の中も変わるだろう」というのが古賀さんの原動力だ。演歌がエネルギーなのである。

★長崎と佐世保で起きた悲劇
 自分の母校であり、わが子が通う佐世保市立大久保小学校のPTA役員の順番が回ってきて、やがてPTA会長を引き受けることになってしまった。そこからさまざまな社会教育活動に携わることになったが、PTA会長を終えた10年後の2004年6月、その大久保小で「小6女児同級生殺害事件」が起きた。その1年前の2003年7月には長崎市で「中学生幼児誘拐殺害事件(いわゆる“駿ちゃん事件”)」があった。古賀さんは、この二つの事件の検証と対応の会議に連日のように参加した。自分がこれまで取り組んできた地域活動、社会教育活動は何だったのかという茫然自失感、そして「なぜ事件を防げなかったのか」という慚愧の念から立ち直れないまま、多くの住民や関係者ともども長い模索の時間を共有することになった。しかしその経験がまた、教育活動の取り組みを強める原動力にもなった。
 講演では、その時の空気を知らなければ語れないエピソードも紹介された。そして「こうした事件を繰り返さないために必要なことは“地域の力”です。地域の大人が子ども達と触れあい、言葉を交わしていれば事件は防げる。“おてんとさんが見ているよ”“世間さまに申し訳ないぞ”という道徳心、地域社会の規範を取り戻しましょう」と古賀さんは訴える。「どうか幼稚園の皆さんも、卒園児に気になることがあったら、心配な情報が入ってきたら、ためらわずに出張って行って声をかけてほしい」との呼びかけには切実感があった。
 思い返せば子どもが関わった事件では、子ども達から数々のシグナルが出ていた。それに気づかない、気づこうとしないのが私たち大人が作り上げてしまったタテ割り社会なのかも知れない。「家庭と地域と幼稚園の連携」を標榜する私立幼稚園にとって、「地域とは何か」を改めて考えさせられた。
 「いかに時代が変わろうと引き継いでいかなければならないものがあります。その土台を作るのが幼児期であり、幼稚園だと思います」と古賀さんは述べ、「26回目を数えるこの研修会、そして長崎県私立幼稚園連合会は、先輩方から脈々と幼児教育の精神を受け継いで今日があると思います。ここに参集した設置者・園長・主任の皆さんは、未来の日本を創る子ども達を育むことを仕事とする素晴らしさと、その責任の重さを実感しながら、歴史を受け継ぎ、それを次代に受け渡してもらいたい」と続けた。
 最後に古賀さんは、自身がもっとも敬愛する心理学者・河合隼雄氏(故人)の幼児教育論をいくつか紹介して話を終えた。「釈迦に説法かも知れませんが」とみずから言ったように、それらは私たちが日頃から研究し実践していることだったが、そこには社会教育実践者としての幼稚園に対する愛情と期待があった。「この期待に応えていかなくては」と聴く者の気持ちを新たにさせた講演だった。

【付録資料】
※古賀良一氏の講演内容全体要旨は『月刊・私立幼稚園』の都道府県・研修会レポートに掲載してあります。

※古賀良一氏の講演の様子(動画)
※佐世保小6同級生殺害事件の概要(Wikipedia)
※長崎幼児誘拐殺害事件の概要(Wikipedia)
遊軍記者・朝野卓也/長崎県・日野幼稚園理事長