★徹底して削ぎ落とされた無駄のない文章
「元幼稚園教師」の経歴を持つ人が世の中には大勢いて、いろいろな分野で活躍している。幼稚園教師の人生サイクルを考えれば当然のことである。私の身辺でも声楽家、郵便局長、IT実業家、居酒屋女将など多士済々だ。
しかし作家となるとなかなか思い浮かばなかったが、1人大輪の花を咲かせた人がいる。長編サスペンス小説『氷の華』を書いて文壇デビューした天野節子さんだ。
千葉県出身の天野さんは、短大を出た後幼稚園教師を20年間勤め、その後幼児教育教材会社に20年勤めて、還暦を機に作家になった方である。幼稚園教師時代から小説やエッセイを書いていたが、公にされたのは『氷の華』が最初。人生のひとつの区切りとして書き上げたという。
といってもプロ作家になるつもりはなく、最初は1000部印刷の自費出版だったが、これが専門家に注目され改めて大手出版社から刊行された。2007年3月のことだった。今までのサスペンスにない状況設定、展開、人物描写が注目を広げ、早々にテレビドラマにもなったそうだ。
筋立ては、何不自由なく暮らしていたセレブな人妻が、一本の電話から殺人者の道に誘い込まれ、夫を含む3人を毒殺した後、みずからも追い詰めた刑事の目の前で服毒して果てるという物語だ。
容姿端麗、頭脳明晰、沈着冷静な30代半ばの女性が、どうして衝動的ともいえる殺人を犯してしまったのか、その動機は、百戦錬磨の敏腕刑事にもとうとうわからないまま終わってしまう。崖っぷちに立った犯人が、最後に滔々と自分の人生を語るような安物ドラマとは違う。動機を知るのは洞察力のある読者だけである。
隠された動機の中には、「結婚」「子ども」をめぐる女性の執念と怨念がある。「子どもの存在とはこれほどまでに女性の人生を支配するものか」と改めて感じさせられた。天野さんの40年に及ぶ幼児教育体験、母と子の観察から洗い出されてきたものでもあろう。
それはとりもなおさず、今の日本政府が軽々しく少子化対策だ、子育て支援だという国家的セクハラに対する強烈な糾弾とも感じた。女性の奥底に横たわる子どもへの情念を察するなら、仰々しく少子化担当大臣など置くのはもってのほか。そんな政策は人間社会の当たり前のこととして、静かに粛々と進めればいいと思う。
と、そんな具合に主人公・瀬野恭子を通じて元幼稚園教師の思いを垣間見た気がするが、どんな人間であっても、その心の中はほんのちょっと感ずることしかできない。それもまたこの長編小説のテーマであった気がする。
天野さんは、この小説のために400字詰で1万枚分の入力をしたという。それを10分の1の1000枚弱に削ぎ落とした。だから言葉にも展開にもまったく無駄がない。一昼夜で一気に読み上げさせてしまうパワーがある。
そんな中にも、警視庁の戸田克巳刑事の次女が幼稚園教師で、父と娘のドライかつほのぼのとした会話を楽しむことができる。また幼稚園のある風景がところどころに出てくるので、幼稚園業界に生きる人間としては嬉しくなる。
「これでプロになったとは思っていません。次に書く作品も同じように自費出版から始めるつもりです」と天野さんは言うが、引き続き幼児教育40年の観察眼を生かしたメッセージを発信してほしいと願っている。
幼稚園情報センター代表 片岡 進