★15分で持論を展開できるのが論客
2009年11月18日(水)夕刻、埼玉県さいたま市でシンポジウムの意義を再発見するシンポジウムがあった。埼玉師範塾(高橋史朗理事長=明星大学教授)が主催した「教育フォーラム」である(埼玉県、全埼玉私立幼稚園連合会などが後援)。
場所は埼玉会館、参加者は大半が幼稚園を含む学校教師と若手企業経営者。ステージの顔ぶれはコーディネーターの高橋史朗氏のほか埼玉県知事・上田清司、東京杉並区長・山田宏、自民党参議院議員・義家弘介、教師塾塾頭・原田隆史、杉並師範館理事長・田口佳史の計6氏。みな一家言を持つ論客である。
テーマは「地域に根ざした教育再生〜教師・親が変われば子どもも変わる〜」という師範塾の定番だったが、「テーマは無視して結構、今ここにいる人たちに自分の立場で伝えたいことを自由に語ってほしい」と始まった。
用意された時間は2時間。ところが30分をサポート団体の挨拶や祝電披露に使ってしまったため、実質90分。それを6人に配分すると1人わずか15分である。1回目に10分、2回目に5分という割り振りで進められた。
時間制約にもめげずパネリストは熱心に語り、論点も明確だった。それぞれの話をもっと聞きたかったが、たちまちタイムアップ。「できれば夜通しやりたいところですがそれは叶いません。これで終わります」と高橋塾長は無情に幕を下ろした。腹八分どころか腹一分にも満たない気がして、終了後「これはひどい。十分に話ができなかった講師にも申し訳ないが、時間をやり繰りして集まってくれた参加者に失礼じゃないですか。せめて倍の3時間はほしかった」と高橋氏に詰め寄った。
苦笑いした高橋氏によるとパネリストはほかに千葉県知事・森田健作、前横浜市長・中田宏、さいたま市長・清水勇人(埼玉県私立幼稚園PTA連合会会長)の三氏も予定していたという。森田、中田の両氏は当初から都合がつかなかったが、プログラムに名前が印刷されていた清水市長は急な公務でドタキャンとなった。もしかしたら9人のパネリストがひしめくシンポジウムになったかも知れず、そうなれば1人の持ち時間は10分だった。「企画者はいったい何を考えているんだ!顔見世興行じゃあるまいし」と言いたいところである。
せっかく多士済々の論客を集めても、形だけのシンポジウムでは何の意味があるのかと首をひねった。90分なら誰か1人に講演してもらう、あるいは2人の対談の方が語る方も聴く方も良かっただろうという思いを残した。
★上田知事は母親と教委の問題点を突き
しかし帰りの電車の中、メモを見ながら彼らの話を思い返してみると、15分の持ち時間の中でそれぞれがちゃんと意を尽くしていることがわかった。
子ども時代は教師をめざし、学生時代は学習塾経営の経験もある上田知事は、「いま埼玉県では保護者の1日保育士、1日先生を制度化している。夜泣きする赤ん坊を殴りつける母親がいる。多くの子ども、保育士に接することで、そんな親自身のおかしさ、異常さに自分で気づいてもらいたいからだ」
「同じ観点から荒れた高校生の保育所、幼稚園での体験学習に力を入れている。素直な幼児にふれて彼らの心が洗われ、めきめき成果をあげている。おざなりにしがちな役人の尻を叩いて、もっと徹底してやるよう督励している」
「しかしネックは世間の感覚から切り離された教育委員会だ。教師が自分達のおかしさに気づいてもらうにはこれを何とかしたい。知事会で議論して教育委員会の選択制(独立した委員会を設置するか知事所管の委員会にするかを選択できる制度)を提案したい。私は知事部局で吸収する形をとりたい」と隔靴掻痒ながらも懸命に政策に取り組んでいる姿を示した。
これに対し元ヤンキー先生の義家参議院議員は、政治思想に左右される教育委員会の選択制には反対を表明したが、「フタをされた学校現場は今、異常な状態にある。子ども達にルールを示すべき教師が平気でルールを破っている。これを正常化し、がんばっている先生が報われる学校にしなければいけない」
「もうひとつ教育で必要なのは父権の復活だ。“ならぬものはならぬ”という愛情と情熱の父権的規範があいまいだから若者は平気で道を踏み外していく。犬を父親にするようなCMを見て喜んでいてはいけない。男が立ち上がらなくては子どもを救うことはできない」と眼光鋭く訴えた。
★山田区長は公共心と自立心を説いた
2009年10月に「よい国つくろう!日本志民会議」を立ち上げた山田区長は、「日本丸という船は今、船底に大きな穴があいて沈み始めている。なのに船長はレストランのメニューを考えている。“食事は後。一緒に船底に行って、水をかき出し穴をふさぐ仕事を手伝ってほしい”と乗客に言うのが本当の船長だ」
「行政の一番悪いことは予算を使いきってしまうこと。歳入が好調のときはそれでもいい。しかし歳入が減ったら事業を切るしかないのにそれができない。だから借金が増える一方だ。杉並区は敬老の日の紅白饅頭を廃止することから始めた。区民の反発は強かったが、借金は消え貯金ができてきた。やがては区民税ゼロも実現できる。それがわかって区民も理解し協力してくれるようになった」
「本当の民主主義とは制度ではない。志ある人々の公共心と自立心で支えるものだ。自分でできることは自分でやる。それが原点。幸せは自助努力でしか得られない。まずは電車の中からシルバーシートをなくすことだ。あれがあるうちは民主主義はあり得ない」と熱弁を奮った。
★シンポジウムの意義を再発見
現場教師の鍛錬に命を懸ける原田氏は吉田松陰の松下村塾を例に引き、「どんな粗末な環境でも優れた教育は行える。要は志と責任。親は家庭で、教師は学校で、経営者は職場で教育の責任を果たすことがすべてだ」と説き、中国古典思想一筋で生きてきた田口氏は「江戸時代の人々は皆、子ども達が立派な大人になるよう知恵と労を尽くしてきた。我々は江戸時代の生活規範に戻るべきだ」と訴えた。
司会の高橋氏は、パネリストそれぞれに「あなたの主張が、教育の場に求めるものは何か」と問いかけ、短い時間の中で幼児教育、親教育、家庭教育に光を当てていった。
そこでわかったことは、人は15分でも必要十分に話をすることができ、またそれができるのが真の論客であるということだった。聴く立場からしても、1人の話を90分聴いて押しつけ感を抱くより、15分ずつ6人から話を聴いた方が刺激は大きく、行動に移るための選択肢も広がるというものである。
シンポジウムが終わったのは夜8時を過ぎていたが、参加した仲間が浦和駅前の居酒屋で15分の話をさらに膨らませたように、6人のパネリストも、きっと共に食事をしながら、さらに火花を散らしたことだろう。シンポジウムの良さはそれができることにもある。
還暦を迎える頃になって、ようやくシンポジウムの意味を知ったような気がして、高橋史朗氏に詰め寄ったことを反省した。
★謝礼は交通費と弁当で大丈夫
私立幼稚園の都道府県団体、市区団体はどこも、さまざまな講師を招いて研修会を実施している。呼びたい候補の名は何人もあがるだろうが、講演だと1人に絞らざるを得ない。しかし聴きたい人が複数いるなら、今回の埼玉シンポジウムのようにみんなに声をかけ、都合のつく人に集まってもらえばいい。
「そんなこと言ったって講師料の予算があるから……」と心配する向きもあるだろうが、「聴いてもらいたいこと、伝えたいこと」を真剣に考えている論客なら、交通費実費に幕の内弁当でも付けてあげれば喜んでやってくるはずだ。依頼するとき「交通費と弁当でお願いしたい」と伝えなくてはいけないが、それで謝礼金のことをとやかく言うような人は論客ではない。ただのタレントだ。こちらから願い下げにすればいい。
振興大会、PTA大会、教職員大会、周年式典などでも、型どおりの来賓挨拶を順番に聞く退屈スタイルでなく、シンポジウム形式にして「今、ここにいる人たちに思い切り話してほしい」と始めれば、会場にいる人たちはまったく違う時間を過ごすことができ、意義深い会合になるだろう。ぜひ一度試してもらいたい。
※シンポジウム=ひとつの問題について、2人以上の講演者が異なった面から意見を述べ、かつ聴衆や司会者の質問に答える形式の討論会。(小学館「言泉」より)
幼稚園情報センター代表・片岡 進