★大名駕籠で登場して黒田節を舞う
2011年10月10日、東京両国の江戸東京博物館大ホールで、105歳になった曻地三郎氏の講演を聞いた。広島高等師範を出て小学校教師になった曻地氏は三人の子どもに恵まれたが、上二人の男の子が脳性小児麻痺にかかるという苦労を背負った。そこでみずから障害児教育に取り組もうと大学に入り直して心理学と精神医学を学んで博士号を取り、1954年、3〜5歳の知的障害児を受け入れる養護学校「しいのみ学園」を設立した。この日本初の試みは新東宝で映画化(1955年公開『しいのみ学園』/主演=宇野重吉、香川京子)され大きな話題になったと聞く。曻地三郎氏はそんな伝説を持った人である。
曻地氏の話を聞くのはこれが4回目。最初は1993年5月、福岡教育大学で行われた第47回日本保育学会の記念講演。彼が86歳の時だった。「86歳でこれほど中身のある話を楽しく聞かせることができるのか」と感心したものだ。その後の2回はNHKラジオ深夜便での講演だったが、いずれも涙あり笑いあり、そして含蓄のメッセージが込められた講演だった。特に学校の小使いさんになるのが夢だった長男が、しいのみ学園の小使いさんになり、始業の鐘を鳴らすのに一生懸命取り組んだエピソードが印象に残っている。
学園では今も毎朝、門の前に立って登園する親子を迎える曻地園長だが、妻も子もみんな亡くなった後、100歳を機に世界各地で講演するようになった。どんな内容の話をしているのだろうかと思って、相撲の街・両国に出かけた。
最初に前座があり、お箏演奏、ダウン症の子ども達によるヒップホップダンス、老舗男性コーラスグループ・ボニージャックスの歌声の後、曻地三郎氏は博物館から借りてきた大名駕籠に乗って登場し、黒田節を舞った。そして真っ赤なスーツに衣装替えして講演が始まった。
まさか当節はやりのプロジェクター講演にはならないだろうと思ったが、そうなった。自分でパソコンを操作し、スクリーンに映るのは地氏の最近の日常、世界各地でのモテモテぶり、それに自身で考案した棒体操だった。演題は「人生に余りはない」だったが、約1時間の話には、過去3回の講演で聴いた子育てや教育に関わる体験エピソードも問題提起もなく、芸能ワイドショーのような画像が延々と続いた。
★すべてを笑い飛ばして生きる毎日
講演の後は、女優・磯村みどりさんが率いる「婆〜婆〜ユニット」というグループが歌って踊り、最後は曻地氏の長寿を讃える相撲甚句で締めくくられた。構成は飽きさせないように工夫されていたが、これはもう講演会ではなく、曻地三郎という、いつ倒れてもおかしくない危うくも特異なキャラクターを呼び物にしたステージショーだった。
演壇に立って聴衆と向き合い、我が人生を語り、未来へのメッセージを伝えるパワーが残っていないのも仕方ないか、何しろ105歳だからな……とも思ったが、終わってしばらくして思い浮かんだことは、「100歳を超えたら、もう体験も苦労も教訓も関係ない。今日一日を楽しく過ごせばいいんだ。明日も生きていればもっと楽しくやればいい。それができるのが100歳からだ。みんな私についておいで。そのためには99歳までは苦労を重ね、勉強を積んで、身体と脳味噌を鍛えなさい」ということを、自分の姿、日常を見せることで伝えたかったのではないか、ということだった。そう考えると「言葉より姿に重点を置いた講演会ということか。それもまた深い意味ありだな」と思った次第である。
それでも、いくつか記憶に残った言葉もある。そのひとつは「愛するとは生きること。長生きすればいいことがある」だった。この言葉と曻地さんの笑顔を思い出すと、思い悩むことが馬鹿馬鹿しくなって、「何とかなるだろう」と思えてくる。
添付資料の「元気のでる世界地図」には「サブちゃんの十大習慣健康法」も書かれていたので参考までに載せておく。
(1)まずはスマイル楽観主義で!
(2)冷水摩擦で今日も元気に!
(3)棒体操で体のバランスを整える。
(4)新聞・雑誌は知の宝庫。フル活用して脳の若返り。
(5)祈りが人生を前向きにさせる。
(6)足腰よりも脳を鍛えよ。語学は最高の健康法。
(7)日記が頭脳の若さを保つ。
(8)噛めば噛むほど脳が冴える!長生きできる!
(9)口八丁手八丁足八丁計二十四丁で脳イキイキ。
(10)上を向いて寝よう。
※曻地三郎105歳相撲甚句(
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幼稚園情報センター・片岡 進