正面から率直に議論尽くす姿勢を

全日私幼連、吉田新会長の誕生と期待

2008年6月18日
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吉田敬岳新会長
スピードと粘りが信条の吉田敬岳新会長 村上浩司町長

2006年、愛知県の会長として県内43のすべての市町村を訪ねて首長と懇談し、幼児教育への理解を求めた。これだけの馬力とスタミナを持った私幼リーダーはかつて見たことがない。写真は甚目寺町の村上浩司町長との懇談光景。

藤本明弘総務委員長

突っ走る会長のフォロー&サポート&ブレーキ役として期待される藤本明弘総務委員長。

《この記事のポイント》

全日本私立幼稚園連合会の新会長に愛知県の吉田敬岳氏が就任した。総務委員長、副会長を歴任した若手有望株ではあったが、熱っぽい言動と行動ゆえに誤解を生むことも多々あった。しかし理事会は、ベテラン政治巧者の三浦前会長の後継に、この荒武者を指名した。
「やり過ぎないだろうか」「言い過ぎないだろうか」という不安がある一方、「今までよく見えなかった幼児教育制度の問題点や私立幼稚園の将来を、彼なら見えるようにしてくれるだろう」との期待感も大きい。
そこでここでは、愛知県の事務局スタッフとして吉田敬岳氏のそばにいた立場から、その人物像を含めて、全日私幼連の課題と行方を探ってみたいと思う。

幼稚園情報センター代表
元(社)愛知県私立幼稚園連盟事務局長 片岡 進

★大都会派と地方都市派が交互に
総会では圧倒的多数で信任されたとは言え、理事会で、会長候補が吉田氏に決まるまでには少なからぬ軋みがあった。そこには私幼界に昔からある、都会派と地方派のもみ合いがあったからだと言える。
1984(昭59)年に旧三団体が統合してから24年、全日私幼連の会長は、設立時の暫定会長(青山学院大学長・大木金次郎氏)を除くと、①友松諦道氏(東京都千代田区・神田寺幼)→②小林龍雄氏(栃木県佐野市・呑龍幼)→③安達研氏(大阪府大阪市・ひじり幼)→④小林龍雄氏(再登板)→⑤佐保田宣正氏(神奈川県川崎市・東菅幼)→⑥三浦貞子氏(青森県青森市・白ゆり幼)→⑦吉田敬岳氏(愛知県名古屋市・自由ヶ丘幼)と受け継がれてきた。
面白いことに大都市出身と地方都市出身の会長が交互に選ばれている。バランスがとれているとも言えるが、在任期間を見ると、大都市派が通算6年なのに対して、地方都市派は通算18年で圧倒している。
それだけ地方の私立幼稚園の危機感が強いからに他ならない。今回の改選でも、地方都市勢は三浦会長の続投を支持し、本人も「もう少し頑張るしかないわね」とその意向だった。
実績あるベテラン会長の「続投」意思表示は重い。そのため、早くから対抗馬にあげられていた吉田氏には「勝ち目がない」「アテ馬になってしまうだろう」という見方が多かった。
しかし理事会では、1人の会長が10年を超えて継続することに懸念の声があがり、選考小委員会のほかに理事会を3度開いて議論した結果、対抗馬が本命になった。
議論の過程では、会長の継続任期を6年に制限する会則改正が行われた。ある意味、新会長に対し「6年の視野を持って、多くの仕事を計画的にやり遂げてほしい」というメッセージを送ったとも言えるが、これまでの大都市派会長がいずれも短期だったので、吉田氏がその壁を破れるかどうか注目される。壁を破るには、地方の幼稚園の声をどこまでくみ上げ、反映させていくかにかかっている。
「都会の幼稚園と地方の幼稚園で、そんなに考え方の違いがあるのか?」と思うかも知れない。日頃、幼稚園関係者がそれを意識していることはないし、会長を選ぶ方も選ばれる方も、その意識はないだろう。全日の会長が交互に選ばれてきたのも単なる偶然かも知れない。しかしその違いは明らかにある。
大都会の幼稚園は、「教育内容をじっくりと深め、自らの足腰、体力を強化することで、私幼経営の厳しい道を乗り越えていこう」と考える。これに対して園児減と保育所攻勢に苦しむ地方の幼稚園は、「とにかくまずは保育所や公立幼稚園に対抗できるよう制度を改め、補助金を増やしてほしい。そうしないと死んでしまう」と、モビルスーツを着て私幼経営の操縦桿を握ろうとする。
だから地方の人間から大都市のリーダーを見ると、「あんんなにのんびりしていていいのか!」と歯がゆく思うし、大都市の人間から地方都市のリーダーを見ると、「よく考えずに、そんな拙速をして、自分の首を絞めることにもなりかねないぞ」と心配でたまらなくなる。
この私幼界のズレから生まれる風が、会長を選ぶときの風向きの変化を生むのである。
★透明性と公開性が融和を生む
それでは、風向きの違いを小さくし、“日本の私幼”としての融和を図っていくためにはどうしたらいいのか。それには私幼振興をめぐる議論を、今まで以上に透明性、公開性のある場で行い、皆が注視する中で、その中身を深めていくしかない。
本音の議論を真剣にぶつけ合っていけば、「都会の人間はどこを見ているのかわからない」「地方の人間は何を考えているのかわからない」というスレ違いはかなり解消されてくるだろう。
そしてそれができるのが吉田会長である。彼は正義感が人一倍強く、理不尽なことには常に正面突破で打開しようとする。
それゆえ、お茶を濁す、丸め込む、裏取引をする、物事を曖昧にする、結論を先送りにする……などの意図が見えたときには、周囲の人がビックリするほどのカミナリを落とす。ホンネ勝負の人間であることは、ある意味、日本人ばなれしているとも言える。
誤解を生む所以でもあるが、その馬力があればこそ「認定こども園制度の将来像はどうなるのか」「幼児教育の無償化、義務化構想が出てきた背景は何か」など、わかりにくい問題の霞部分を吹き払ってくれる力を持っていると言える。論点を明確にし、ホンネの議論を重ねていけば私立幼稚園の道はおのずと見えてくるはずである。
いみじくも吉田会長は、5月28日の就任挨拶で「あらゆる情報を集め、それを会員に速やかに伝え、開かれた組織運営となるよう力を尽くす」と約束した。その言葉と実行を信じたい。
「私立幼稚園はもっと市町村と連携すべき」と叫ばれているが、2006年、愛知県の会長として吉田敬岳氏は、「それじゃ、まずは自分が全部の首長さんと会ってパイプを作ろう」と、私立幼稚園がない町村を含めて県下43の市町村を半年余りの間にグルッと回った。そしてそれぞれで1時間前後の懇談を行い、私立幼稚園が求める幼児教育について理解を求めたのである。
最初、「県の幼稚園連盟の会長さんが一体何の用事だろう?」といぶかっていた首長さんたちも、情報が広がるにつれて、その来訪を楽しみにするようになった。予定時間を大幅に超えて話し込んだり、教育論で意気投合するケースも増えた。
正面から堂々と握手を求め、自分の意見を率直に言い、もちろん相手の意見も素直に聴く。まさに吉田流正攻法が躍如とする光景であり、これほどのスピードとスタミナを持った私幼リーダーをかつて見たことがない。(愛知県首長行脚の詳しくは『月刊・私立幼稚園』の都道府県レポートを参照のこと)
この発想力と行動力は全日私幼連でも生かしてもらいたいと思う。しかし、会長ひとりを走らせるわけにはいかない。その行動成果が最大限に発揮できるようサポートし、フォローし、ときにはブレーキを踏む人が必要だ。その役割として期待されているのが、政策委員長から総務委員長に横滑りした藤本明弘氏(京都府京都市・嵯峨幼)である。
体の大きさは随分違うが、息の合った二人三脚となることを祈りたい。その牽引力がうまく噛み合えば、全日本私立幼稚園連合会は新しいステージを作ることができるはずである。
全日私幼連=http://www.youchien.com/