横浜で「2014ジャクパ特別講演会」

桑戸真二氏「新制度で保幼の経営環境は逆転する」

橋本聖子氏「2020年五輪を機に国の新しい生き方を」

2014年7月14日

★市町村の超過負担は続けられない
 2014年6月15日(日)、株式会社ジャクパ(五十嵐勝雄社長/本社=東京都小平市)は横浜市の新横浜プリンスホテルで、幼稚園・保育園の経営者を対象に教育理念と経営設計に関する特別講演会を開催した。講師は参議院議員で元オリンピック選手の橋本聖子氏と保育所事情に詳しい(株)福祉総研社長の桑戸真二氏。(株)ジャクパは幼稚園・保育園の体育、英会話、環境整備を軸に事業を展開している。また“ジャクパの恩返し”としてセミナー開催や情報提供にも力を入れており、この講演会もそのひとつ。二人の話の概略をお伝えしよう。
 まずは桑戸真二氏。「国策『待機児ゼロ』から見えてくる園経営の将来設計」のテーマで、子ども・子育て支援新制度への各園の取り組み策について次のように語った。
 「過去15年、幼稚園は財政的に苦しく、保育園は恵まれていた。補助から給付に変わる新制度は、保育園にはほとんど違和感がないが幼稚園は違和感が強い。保育所の仕組みを幼稚園にあてはめるからだ。しかし今後の15年は保育園が悲哀を味わい、幼稚園は経営が良くなる可能性が高い。
 幼稚園の違和感のひとつに“計算してみると従来の私学助成の方が有利”との判断があるようだ。園児数の多い幼稚園ではそういう状況も生まれるようだが、自治体にとって義務的経費でない補助金が義務的経費である給付金より上回るのは考えられないこと。すぐに是正されるだろう。一方で市町村は、これまで行ってきた保育所に対する超過負担を続けることができない。幼稚園や新設保育所など給付対象が増えるからだ。新制度に対して国の財政は消費増税で少しゆとりがあるが、自治体の財政はどこも非常に苦しい。幼稚園も保育園も認定こども園も、国基準での公定価格、施設型給付、保護者負担の中で運営していくことになる。

★2歳児の取り込みがキーワードに
 認定こども園になると子育て支援事業の実施が義務になる。近くに認定こども園ができた幼稚園は、地域開放や未就園児教室に対する自治体の補助が得られない可能性がある。義務的事業に回す経費で手一杯になるからだ。子育て支援活動をすべて自前でやるのはけっこうきつい。しかし入園児対策を考えるとしないわけにはいかない。2016年4月以降は園児数の多い幼稚園も、満3歳児を拡大した2歳児取り込みの幼稚園型認定こども園への移行が進むだろう。
 2歳児の多くが幼稚園に行くと保育園は苦しくなる。2歳を幼稚園で過ごした子どもが、3歳になって保育園に来ることはないからだ。保育園は2歳児受け入れに力を入れる必要がある。また幼稚園も2歳児と満3歳児では大きな違いがあるので万全の安全対策が必要だ。
 さて待機児ゼロの問題。2013年4月に横浜市が待機児ゼロを実現した。1年間で新たに69もの施設を作った。うち39施設は株式会社。保育士を確保するために市の担当者が全国の養成機関に出向いて横浜に来てもらえるようにも働きかけた。月8万円の住居手当を5年間付けるという国の制度も後押しした。人口350万人を有する巨大都市だからできたといえる。ところが1年後、さらに31施設を新設したが待機児が20人生まれました。1歳児の転入が増えたからだ。そしてさすがの横浜市も財政負担が窮屈になってきた。
 安倍首相は2017年までに0〜2歳児の保育受け入れ数をさらに40万人分整備すると宣言した。40人規模の乳幼児保育所で1万カ所になる。すでに20万人確保の目処が立っている。ここに幼稚園や社会福祉法人の参入が少ないと、大半を株式会社が担うことになる。株式会社は1企業で年間に20〜30の施設を新設する力を持っているからだ。
 現在、幼稚園、保育園、認定こども園などに通う0〜5歳の子どもは412万人。これに40万人がプラスされると450万人を超える。年間出生数が100万人を切ろうとしている時代に多すぎる。遠からず施設が余ってくる。その前に2017年には7〜8万人の保育士が不足するとの試算もある。幼稚園が0〜2歳の受け入れを考えても保育士が見つからない心配がある。
 国の政策によって保育・幼児教育の世界はさらに混迷度が深まる。しかし幼稚園は、2歳児受け入れを積極的に行えば輝きのエネルギーを増すことができると思う」

★家庭教育、幼児教育が強いアスリートを育てる
 続いて登場したメイン講師の橋本聖子氏は「オリンピック魂〜人間力を高める」のテーマで、自分の子ども時代、父親から学んだ教え、病気を抱えながら果たしたオリンピック出場へのドラマなどを語った。
 50年前の東京五輪開会直前に生まれ、オリンピック選手への夢を託された橋本さんは3歳からスケートを始めた。と同時に3歳から毎朝、乳牛1頭の乳搾りを受け持った。酪畜農家の家族として当然の役割分担だった。オリンピックで橋本選手は500メートルから5000メートルまで全種目に出場した。併走選手の進路妨害で転倒負傷した後、再スタートで入賞したこともあった。多くの日本人を感動させた光景だったが、その不屈の精神を育んだ人生の一端を見ることができた。
 東京オリンピックを契機に日本は経済大国になった。「しかし同じ夢を見てはいけない」と橋本氏は言う。「環境、教育、食文化など、この50年間に失ったものは大きい。大失敗だったとも言える。次の50年は失ったものを取り戻し、経済成長ではない新しい生き方を世界に示していきたい。そのスタートになるのが2020年のオリンピックだ」と。
 さらにアスリートをめざす多くの子どもを見ていると、幼児期にバランスのとれた食事をした子がトップアスリートに到達できるという。ケガをしても治す力が強いからで、その点からも家庭教育、幼児教育の重要性があると訴えた。
※橋本聖子氏の講演内容は『月刊・私立幼稚園』の「研修会レポート」に全文を掲載してあります。ログインしてご覧ください。

※桑戸真二氏の講演の様子(YouTube動画)
※橋本聖子氏の講演の様子(YouTube動画)

幼稚園情報センター・片岡進