2020年に3〜5歳の保育料を無料に

幼児教育無償化の本音は何か

食い違う政府と幼稚園の思惑

2018年2月25日

★10年がかりの二人三脚
 2017年10月22日の総選挙は、幼児教育無償化を公約に掲げた自公政権が大勝し、これまで「段階的に進める」としてきた政策は、「3〜5歳児の無償化を2020年に一気に実現させる」と画期的に前進しました。ところがこの幼児教育無償化論、一般の人たちには「どうして今必要なの?」と受け取られがちでもあります。自民党は、政権を失った2009年8月の総選挙から一貫して重点公約にあげてきました。また全日本私立幼稚園連合会は、無償化実現を願う大規模な署名運動を何度も行い、幼稚園保護者、幼稚園教師への理解浸透を図ってきました。いわば自民党と私立幼稚園が二人三脚で地道に推進してきた政策であるとも言えます。しかし実際の仕組みと財源については十分な議論があったとは言えません。そのため、急展開からの具体化作業が始まると、不協和音が聞こえるようになってきました。その理由は、無償化に秘められた「見えざる本音」があるからです。そこでここでは同床異夢の本音と思惑を探ってみます。
 本音を語る前に無償化のタテマエです。それは次の二つです。㈰幼児教育の質がさらに充実することで子ども達に健全な社会性が身につき、人々の人生をより豊かにできる。㈪子育ての経済的負担を軽減することで、二人目、三人目の子どもが産みやすくなり、少子化に歯止めがかかる。この二つには、ほとんどの国民に異論がないと思います。逆に「どちらも40年前からわかっていて対策を進めてきたこと。何を今さら仰々しく……」と思う人も多いことでしょう。
 これに対して自公政権の本音は、一番の物いり世代である子育て家庭を援助することで個人消費を増やして物価を上昇させ、日本の経済を活性化させることです。民主党政権時代の「子ども手当」と同じ発想です。民主党は「理念なきバラまき」と批判されましたが、自公政権は「幼児教育無償化」という大義名分と間接給付で、その本音を上手にくるみました。

★文科省の思いは幼児教育の全面掌握
 文科省の本音は少し違います。無償化によって5歳児を義務教育に組み入れ、50年来の課題である「義務教育年齢の1年引き下げ」を実現したい思いです。凸凹の大きい幼児教育を、無償化で平準化させ、小学校教育を円滑に進めていきたい願いもあります。そして将来は3歳・4歳も義務教育にして幼児教育全体を文科省に取り戻したいと考えています。長期的な国家戦略的思惑です。
 これに対して内閣府の思惑は短期的です。無償化へのお金の流れを、新制度の財政に一本化して、新制度を完成させたいネライです。私学助成より施設型給付の方が有利だとわかっていても、首都圏の幼稚園はなかなか新制度に移行しません。新制度は幼児教育を無力化せるものと警戒しているからです。でも無償化が新制度に組み込まれれば、幼稚園も腰を上げざるを得ません。それがネライです。新制度が完成しても、認定こども園、保育所、幼稚園、認可外施設の四元体制は残ります。でも無償化で根っこがひとつになれば、将来の義務化も比較的スムーズに進むので、これは文科省も歓迎です。

★消えない財政の壁に最終決着がつくか
 一方、幼稚園関係者の本音は何でしょうか。それは新制度でも残る施設間の財政格差を、無償化で完全払拭し、幼児教育に対する親の自由な選択権を確立したいという願いです。同じ日本の子どもでありながら、私立幼稚園に通う子どもは、保育所や公立幼稚園に通う子どもに比べて大きな経済負担を強いられてきました。その財政の壁をなくすため、私立幼稚園関係者は50年以上前から血の滲む運動を進めてきました。しかし砕いても砕いても、財政の壁は、まるでゾンビのように立ち上がってきたのです。
 期待された新制度でも、本来、施設型給付はすべての子どもに平等な財政支援を保証する直接助成で、教育バウチャーの変形と言えるものでした。バウチャーを行使することで、利用施設を自由に選択できるようになるはずでした。それは、すべての子どもに公平性を保証する理想の制度です。しかし実際は違って、新たな財政の壁ができました。そのため親は、教育の中身より経済的に有利な方を選ぶ形から抜けられません。それを無償化という共通土俵の上で最終決着をつけたいというのが、幼稚園関係者の願いです。政権や政府側の本音とはかなり食い違っています。
 さて肝心の当事者である保護者は、この動きをどう見ているでしょうか。公立の小中学校でも給食費、行事費、保護者会費などいろいろな負担があります。ところが幼児教育無償化という言葉に対しては、保育所・幼稚園・こども園の費用が一切無料になると思っている親が多いのです。無理からぬことです。しかし給食費や通園バス費、英語や絵画、音楽などの特別活動費を考えると、私立幼稚園の場合は、無償化になっても相当の負担が残ると言わざるを得ません。ここは政府も施設側も「すべてが無償になるわけではありません」とよく説明しておくことが肝要です。そうしないと無償化の期待外れ感が大きく、安倍政権の経済効果への思惑も消えてしまうことでしょう。
ようちえん情報センター 片岡 進